UK P&I クラブの歴史
P&Iクラブの創生期
現在のP&Iクラブは、18世紀に英国の船主が組織した多くの小規模船体保険組合の末裔に当たります。これらは船主が構成するいくつかのグループによって英国各地に設立されたもので、1720年に法律に基づいて独占が認められた船体保険者であるRoyal Exchange AssuranceとLondon Assuranceや、ロイズの前身であるロイズ・コーヒーハウスなどのような、ロンドンにおいて個人で保険の引き受けを行う業者が提供する付保条件や保険料に対する船主の不満がきっかけとなって組織されました。このような船体保険組合は基本的に、会社組織化されていない組合あるいは協同組合の形態をとっており、構成員である船主が協同して相互に船体に関するリスクの担保を行っていました。したがって、各々の船主は被保険者であると同時に他の船主に対しては保険者でありました。これら船体保険組合は今日法人化され、法的には、付保を行う主体は個々のメンバーではなく、クラブとなっていますが、「被保険者=保険者」という精神は現在のP&Iクラブの基本理念として受け継がれています。
P&Iクラブの一時的な衰退
1824年にRoyal ExchangeとLondon Assuranceによる独占に終止符が打たれ、市場やロイズの保険引受業者が提供する保険料、付保条件やサービスに、競争による健全化がもたらされました。その結果、船体保険組合の必要性が徐々になくなっていき、衰退することになります。今日でもそのいくつかは存在していますが、市場全体におけるシェアは大きくはありません。
第三者責任の拡大によるP&Iクラブの再興
船体保険組合は衰退しましたが、異なった目的のために同様の組合組織を設立する必要性が船主によって見出されました。これは、19世紀半ば以降、英国船主の第三者に対する責任が継続的に増大したことがひとつの要因となって広まっていきます。例えば、船員が雇用者に対して補償を求めることがより一般的になり、死亡した船員の被扶養者のクレームが1846年のLord Campbell’s Actによって増加しました。また、同法並びに19世紀後半の北米やオーストラリア大陸への移民の増加に伴う船客の飛躍的な増加によって、船客のクレームの可能性も増大しました。そこで、これらリスクの担保を船主が必要とした訳です。加えて、他船との衝突において、自船が与えた損害に関する保険填補が不充分であるという船主の声がますます高まるようになります。衝突における他船及び他船上の貨物に関するクレームは通常その四分の一が填補対象外とされており、さらに深刻なことに、填補に上限が課せられていました(衝突における保険証券上の填補額は自船の損害と自船が与えた損害に対する責任とをあわせても、自船の保険価額を超えないとされていたようです)。
1855年になって、遂に、最初のProtectionクラブ(当時は積荷に関する責任、いわゆる「Indemnityリスク」の担保はまだ始まっていませんでした)が設立されます。これがShipowners’Mutual Protection Societyで、ブリタニアP&Iクラブの前身に当たります。もともとは船体保険相互組合として運営されるはずでしたが、人命の喪失や傷害、現在の海上保険証券では除外されている衝突に関するリスク、特に、そのような保険証券で設定されている填補の上限を超える部分について填補を行うこととなりました。
UKクラブは1869年にロンドンで設立されました。1874年になると、加入船舶上の積荷の滅失あるいは損傷に関する責任が、初めてProtectionクラブの填補範囲に追加されました。より高価な貨物が輸送されるようになったことと、貨物クレームについて訴訟が提起された場合に、裁判所が貨物保険者など荷主側関係者に多少同情的な見解を示したことから、貨物保険者の船主からの回収を促す結果となったことに対応したものです。1874年以降、多くのクラブがIndemnityリスクを填補対象に追加しました。その後、Indemnityリスクの担保は当初から提供されていたProtectionリスクの担保と融合し、今日に至っては、P&Iクラブという名のもとに、二つのリスクの区別はなくなってしまっています。
創生期にはP&Iクラブは英国の様々な都市に設立されましたが、その後、各地に伝播し、現在では、スカンジナビア半島やアメリカ合衆国、さらに、日本でもP&Iクラブが設立されています。主だったP&Iクラブのほとんどは、再保険やその他の便宜を図るために、国際グループに所属しています。また、もともと英国系であったP&Iクラブが組織変更を行い、バミューダやルクセンブルグに本部を移すという現象が見られました。その目的は、メンバーの皆様からお預かりした保険料をクレーム支払いまでの間投資することによって得る利益に税金がかからないよう、為替管理の自由を確保することにあります。これは、先進国や発展途上国を問わず、世界各国の船主の要望によるもので、P&Iクラブがより大きな組織として世界中の船主をメンバーとし、真の意味で、国際化を図っていることをよく表しています。責任保険におけるクラブというシステムが広く受け入れられているということは、外航商船10隻のうち約9隻がP&Iクラブに加入しているという事実からよくおわかり頂けるものと思います。
日本におけるP&I クラブの歴史
[ピーター・ヤング著‘Mutuality’より抜粋]
日本におけるP&Iの歴史の始まりは、1908年(明治41年)に当時長崎高等商業学校の教授であった田崎慎治氏がUKクラブの管理者、トーマス・ミラーのロンドン事務所で学んだP&Iの知識を帰国後に報告したという記録が残っています。その後1929年(昭和4年)神戸商業大学(現、神戸大学)の学長となった同氏の指導により、1950年(昭和25年)5月に船主責任相互組合法が成立、現在のJapan P&Iクラブ(日本船主責任相互組合)が神戸に設立されました。最初は、日本の戦後復興の一貫としてUKクラブのFrank Ledwith氏とその後継者である Sidney Fowler氏らはJapan P&Iクラブに助言を行っていました。 1960年台の半ばには、Japan P&Iクラブは、Indemnity(特に貨物責任)のてん補が困難になり、UKクラブもIndemnityカバーを引き受けるようになりました。
日本でUKクラブに最初に加入した船社は、1956年にAIUの再保険という形でUKクラブが引受けた東京タンカー株式会社(現、新日本石油タンカー株式会社)です。

1960年頃の日本の港はひどい船混みに見舞われており、船主は用船者から滞船料を取り立てるのに苦労していました。戦前から船舶代理店をしていたドッドウェル不定期船部は日本に入港したギリシャ船の船主やそのロンドンの弁護士事務所 Richards Butlerなどの代理でこの問題に積極的に関与し取立てに成功した事が契機となり、ドッドウェルが日本のコレスポンデンツとなりました。 当時、不定期船部長であった最勝寺公俊氏はトーマス・ミラーのロンドン事務所での3ヶ月の研修の後に、1962年ドッドウェル不定期船部の中に小さなP&I連絡事務所を設立しました。1964年には小鶴長利氏、北条正弘(前日本支店代表)そして杉浦元弘(現日本支店代表)が加わり、最勝寺氏を部長としてドッドウェル船主保険部が誕生しました。現在のクラブ・コレスポンデンツ、ISS P&I Japanの前身です。
最勝寺氏とSidney Fowler氏は、日本でP&I保険のメリットやUKクラブについて各方面で熱心に説明した結果、ようやく1965年(昭和40年)の12月に、日本郵船株式会社がUKクラブにIndemnityリスクを付保することを決定するに至りました。当時外国の保険会社に付保するには船主が大蔵省の許可を受けなければならず、手続上契約が完了するまでには諸々の苦労と時間を要しました。

その後、当時同社社長であった有吉義弥氏は1968年(昭和43年)にUKクラブ理事に選任され、以後12年間理事としてクラブに貢献されました。 また同1967年には大阪商船三井船舶(株)(現、株式会社商船三井)も加入し、その後多くの船主がUKクラブへ加入しましたが、日本郵船と同様Japan P&IクラブにProtectionリスクを付保しながら、UKP&IクラブにIndemnityリスクを付保するという加入形態をとっていました。
1970年台後半になり、UKクラブは日本の保険業法等の規制に取組む時代を迎えました。日本における外国保険業者として日本籍船舶に対する保険提供をするため、大蔵省免許を取得する努力が重ねられましたが、これは1970年台半ばから10年以上の長きにわたり続けられました。
1980年台後半になり、二つの大きなうねりが同時に起こりました。一つは日本経済の自由化の波により外国保険業者の免許取得の可能性が高まったこと。もう一つはJapan P&Iクラブの成長と自立です。長年同クラブはブリタニアとUKクラブに再保険をかけていましたが、同クラブ理事会では他クラブへの再保険に頼るのではなく国際グループの一員としてプールに直接参加したいと望むようになりました。この二つの波は1980年代の終わりににわかに実現化しました。Japan P&Iクラブは1989年2月20日の新保険年度より国際P&Iグループ・プールへ正式加入し、UKクラブは4月20日正式に日本における外国保険業者として大蔵大臣の免許を取得、日本籍船舶の保険引受を開始しました。尚、同年ブリタニア・クラブが、また2年後の1991年にはガードPIが日本支店を開設しています。こうしてUKクラブは最初の海外支店を東京に設ける事になり、初代日本支店代表として北条正弘が就任しました。